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終戦 国民 気持ち

この一報を受けた主婦の感想は次のようなものです。, 「しめ切った雨戸のすきまから、まっくらな私の部屋に、光のさし込むように強くあざやかに聞えた。二度、朗々と繰り返した。それを、じっと聞いているうちに、私の人間は変ってしまった。強い光線を受けて、からだが透明になるような感じ。あるいは、聖霊の息吹を受けて、つめたい花びらをいちまい胸の中に宿したような気持ち。日本も、けさから、ちがう日本になったのだ。」, 戦争を憎む気持ちなど微塵も感じさせない叙述です。我々、戦後の日本人の大方の予想とは異なり、日米開戦の一報に、この主婦は感激しているのです。勿論、この後の辛く、苦しい戦争生活を知らないからこそ、このような感覚を抱いたのでしょう。しかし、ここで確認しておきたいのは、開戦当初、多くの日本国民が、この主婦のように日米開戦を支持していたという事実です。, この主婦は次のようにも述べています。 この歴史的な事実に目を向けたうえでこそ、本当の意味での反省があるのではないでしょうか。, 一握りの狂信集団に騙され、国民は戦争に巻き込まれ、アジア諸国には迷惑をかけた。こうした歴史認識は、あまりに偏っているといわざるをえません。, 現代でも多くの若い人々を魅了する『人間失格』、『斜陽』の著者として有名な太宰治の小説「十二月八日」の中に、その手掛かりがあります。(なお、この「十二月八日」は、インターネット上の青空文庫で全文を無料で読むことが可能となっています。) 戦前、戦時下の日本における消費や観光に着目した面白い研究をしているケネス・ルオフという学者は、冷静に次のように指摘しています。, 「(戦後)日本を戦争の暗い谷間へと引きずりこんだとして、漠然とした少数の『軍国主義者』を非難することが通例となった。しかし、国民の支持がなければ、全面戦争の遂行などできるわけがないのだから、これは奇妙な言い草だった」( 『紀元二千六百年 消費と観光のナショナリズム』朝日叢書、xi頁), ルオフは、戦前の日本で愛国主義的な雰囲気が盛り上がっていたことを指摘していますが、それはただ政府が盛り上げていただけなく、国民の側もそれを喜んでいたことを指摘しているのです。, 騙した指導者と騙された国民。 かったの? 他国から... 日本の首領、日本のドン、最後... 日清戦争とビゴーの風刺画「列... 第二次世界大戦の日本兵の死亡率. では、どうしてこの主婦は、ここまで熱烈に日米開戦を支持しているのでしょうか。, 戦争そのものを好む好戦的な気分が漲っていたのでしょうか。 1945年8月15日正午、「終戦の詔」を昭和天皇が読み上げる、いわゆる「玉音放送」がラジオで放送され、当時の国民は戦争に負けたことを知った。 学校教育で「玉音放送」としては知られるが、その内容を取り上げられることがなかった、大東亜戦争の「終戦の詔書」(終戦の詔勅)全文と、その現代語訳(現代文)を掲載する。日本が終戦を決意した意味と意義を、広く知って欲しい。 当時の日本軍は一般国民を守るどころか、自分らはガマという洞穴から人々を追い出し、逃げ込み、雨あられと降りかかる米軍の砲弾から身を守り、一方何の罪もない一般人は大人はおろか女子中学生などまで戦闘要員として動員し、伝令などに使い最後には尻尾を巻いて逃げ出したという。 第一次世界大戦 上段:西部戦線の戦場 中段左:ドイツ軍のアルバトロス d.iii複葉機 中段右:イギリス軍のmk.iv戦車 下段左:ソンムの戦いでのヴィッカース重機関銃と英兵 下段右:ガリポリの戦いで沈む英国戦艦イレジスティブル 戦争:第一次世界大戦 : 年月日:1914年 7月28日 - 1918年 11月11日 ご自身の気持ちと違ったものが放送されたのでしょう」 侍従候所で、ひといき ついてから御座所に戻った。 「お帳が参っています」 中村さんが部屋に入ると、 昭和天皇は、机で原稿を書いていた。 ひどく疲れた様子だった。 この手がかりも主婦の叙述の中にあるので、引用してみましょう。, 「台所で後かたづけをしながら、いろいろ考えた。目色、毛色が違うという事が、之程までに敵愾心を起こさせるものか。滅茶苦茶に、ぶん殴りたい。支那を相手の時とは、まるで気持ちが違うのだ。本当に、此の親しい美しい日本の土を、けだものみたいに無神経なアメリカの兵隊どもが、のそのそ歩きまわるなど、考えただけでも、たまらない。」, 引用した中にある「支那(シナ)」とは、中国のことです。そうです。この主婦は、今回のアメリカ相手の戦争は、中国を相手にした戦争とは「まるで気持ちが違う」というのです。, 何故、中国相手の戦争とアメリカ相手の戦争とでは、「まるで気持ちが違うのでしょうか」。   「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。」 総理がどうしても8月15日靖国参拝輪をしたいのなら、終戦記念日の8月15日を平和祈念日にして祝日とし、全世界に平和を願う国民の気持ちを伝える、法的措置をとる必要があるのではないでしょうか。 「その通りだ。日本はアジアを侵略し、多大の損害と苦痛を与えた」と一気に納得せずに、もう少し、お付き合いください。, これは何気ない文章のように思われるかもしれませんが、よくよく考えてみると不思議な文章です。わが国が国策を誤り、国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略に手を染め、アジア諸国の人々に対して、多大の損害と苦痛を与えたというのです。, 「我が国」が「植民地支配と侵略」によって、「アジア諸国の人々」に対して「多大の損害と苦痛を与えた」というだけならば、認識の相違はありますが、理解は出来る文章です。, 単純に、我が国が他国に迷惑をかけ、申し訳なかったという話です。 72年前のきょうの新聞を読む 終戦についてどう社説で伝えたのか. その手がかりも引用した一節の中にあります。, 「目色、毛色が違うという事が、之程までに敵愾心を起こさせるものか」   終戦の詔を昭和天皇が読み上げる玉音放送が ラジオで放送され、 当時の国民は戦争に負けたことを知った 。 そんな昭和天皇の終戦時の玉音放送ですが、 昭和天皇が日本人に呼びかけていた ことを知っていますか? 学校では当然、教えません。 終戦の日には、毎年、戦争について語られる。その際に強調されるのが戦争の悲惨さだ。確かに、戦争は悲惨であり、多くの人々が悲しんだ。歴史的な事実であり、そこに嘘はない。, だが、戦争には開戦に至る経緯というものがあり、掲げた理屈というものがある。何も理由もなしに戦争を始めるということはありえない。何故、日本人の多くが戦争を支持したのか。その部分を見つめなければ、本当の意味での反省などありえない。, 以下、拙著『人種差別から読み解く大東亜戦争』からの抜粋だ。 何故、日本国民の多くが戦争を支持したのかを人種差別という観点から、読み解こうとしたものだ。, 「お前は日本軍の侵略を認めない歴史修正主義者か」といきり立つ前に、冷静に村山談話を振り返ってみましょう。, 村山談話には次のような一節があります。 敗(まけるの意)と負けるの、... 「いけいけどんどん」について... 映画プライベートライアンについて. 戦争をするためのそなえなどを強調したり、戦争にむけた気持ちを 高めたりする記述などは、間違っているとされたためです。これまで正しいことだと教えられていたことが、 全て崩れ去っていったのです。 <年代展示4> 昭和20年8月15日~終戦 十二月八日とは、昭和十六年十二月八日を意味しています。いうまでもなく、日本海軍が真珠湾攻撃を敢行した日米開戦の日のことです。 何故、日本国民はあの戦争を支持したのか? — 岩田 温 / 今日は12月8日。大東亜戦争が勃発した日だ。 終戦の日には、毎年、戦争について語られる。その際に強調されるのが戦争の悲惨さだ。確かに、戦争は悲惨であり、多くの人々が悲しんだ。歴史的な事実であり、そこに嘘はない。 「いやだなあ、という気持ちは、少しも起こらない。こんな辛い時勢に生まれて、などと悔やむ気がない。かえって、こういう世に生まれて生甲斐をさえ感ぜられる。こういう世の中に生まれて、よかった、と思う。ああ、誰かと、うんと戦争の話をしたい。やりましたわね、いよいよはじまったのねえ、なんて」 第二次世界大戦(太平洋戦争)が開戦し、日本の政治体制は強化されていった。 戦争の為に全てを捧げる、国民の窮乏生活が始まる事となった。 長い戦争のなか、日本国民は苦しい生活を余儀なくされてしまう。 朝、ご飯の準備をしようと子供に乳をやっていると、どこからラジオの声が聞こえてきます。, 「「大本営陸海軍部発表。帝国陸海軍は今八日未明西太平洋において米英軍と戦闘状態に入れり。」, 日米開戦を告げる重大な一報でした。 全く違います。 小学生でもわかる第二次世界大... なぜ日本は終戦記念日の8月15日... 中国が戦争準備してるみたいで ... 江戸幕府が大政奉還によって終... 戦争が勃発するリスクを高めて... アメリカの南北戦争で南軍に黒... コンピューター・テクノロジー, エンターテインメント・スポーツ, 訪日外国人の日本に関する質問, dアカウントで新規登録・ログイン. 戦争終結を国民に伝える玉音放送が流れたあの日、新聞はどう社説を書いたのか。 黄色人種である中国人相手の戦争と、白人であるアメリカ相手の戦争とでは、気分が違うというのです。現在、我々は「人種」という問題をあまり意識することはありません。しかし、戦前の日本では、この「人種」が非常に大きな意味をもっていました。, 本書は「人種」、とりわけ「人種差別」の問題から、あの大東亜戦争を説明してみようという試みです。, 勿論、いうまでもありませんが、「人種差別」の問題だけが、戦争勃発の要因ではありません。歴史とは様々な原因が複雑に絡み合って生じた出来事であり、たった一つの理由だけで、大東亜戦争を説明できるはずがありません。, しかし、現在、日本国民の多くが大東亜戦争を支持したという事実が忘れ去られ、まるで日本国民は一部の戦争指導者に騙された被害者であったかのような議論が横行しています。, 間違いなく日本国民は日米開戦を熱烈に支持しました。そして、この背景には、明治維新の開国以来、日本がアメリカを始めとする白人による人種差別を受け続けているという被害者意識、そして、憤りの念が存在していました。, この人種問題に着目し、何故、日本国民があの無謀ともいえる戦争を支持したのか、その一つの理由を理解しようというのが本書の試みです。人種問題という非常に大きな問題を扱う為、時間的にも、空間的にもかなり大きな話になりますが、本書が何らかの形であの戦争を理解するための一視座を提供するものであれば幸いです。. 敗戦を終戦と表現するのはアメリカが戦後の占領をしやすくするための宣伝工作です。私たち日本人は「敗戦は日本政府のせいだ」という宣伝工作を信じ、明らかな日本の「敗戦」を「終戦」と置き換えるようになりました。 日米開戦に歓喜する主婦の悦びに満ち溢れた一日が描かれているのです。 「何をバカなことをいうのだ。そんなのは、当時の政府のリーダーであり、軍部の指導者に決まっているではないか」 産経新聞 昭和天皇は終戦の翌年の昭和21年から29年にかけて全国を巡幸された。敗戦によるショック、虚脱状態にあった国民を慰め、励まされるための旅だった。 涙でレンズが曇り撮れなかった写真 引き返してもう一度「さようなら」 あと、「終戦」と「敗戦」という二つの言葉を対比する関係で、終戦派・敗戦派と私は呼びます。 >負けたことがあったという事実は国民や政府にとって将来の大事な判断材料にもなる 小説はこのような形ではじまります。, 「きょうの日記は特別に、ていねいに書いて置きましょう。昭和十六年の十二月八日には日本のまずしい家庭の主婦は、どんな一日を送ったか、ちょっと書いて置きましょう。」, 日米開戦が始まったその日、一般的な主婦がいかに感じていたのか。 それがこの小説の主題です。 2020年06月19日(金) 終戦の年の日記。1945年、広島で中学1年生だった新井俊一郎さんの日記原文です。1945年6月13~19日 戦時下の日本と国民の生活. 困窮する生活を訴え、一日も早い終戦を願っていたのでしょうか。 という、反論の声があがるかもしれません。, 確かに当時の政府の責任者、軍部の責任者に責任があったのは確かでしょう。それは否定の出来ない事実です。政治家として、軍人として、祖国を敗戦に至らしめた責任は重いといわざるをえません。, しかし、国民は一方的に「存亡の危機」に陥れられただけの被害者だということは出来るのでしょうか。そして、戦争を熱烈に推進し、戦争反対の声をあげようものならば、「売国奴」よばわりしていたマスメディアの責任も存在しなかったことになるのでしょうか。, 私はこの部分に大いなる違和感を覚えるのです。 終戦記念日が近づくとテレビで流れる「堪え難きを堪え忍び難きを忍び」という昭和天皇の声を一度は聞いたことがありますよね。しかしそれ以外の部分はご存知ですか?新たな時代の今こそ、全文の現代語訳を知り「堪え難きを堪え忍び難きを忍び」に込められた意味を学びましょう。 8月15日は日本の終戦の日だ。 今年で終戦の日は69年目を迎える。 1945年の8月15日に 玉音放送により日本が終戦した事を 国民に公表した日である。 玉音放送の『玉音』とは、 天皇陛下の肉声の事である。 全文を現代語訳するとどのような 意味になるのか、日本人であれば 知っておくべき事と言える。 次では、玉音放送全文の現代語訳を 最後にはその本当の意味を見て行こう。 子供時代のふたつの疑問で言えば「敗戦をなぜ、終戦と呼ぶのか」ということについては、やがて「勝った、負けたという以前に、戦争という惨劇がようやく終わったという庶民、国民の気持ちも込められているのだろう」と考えるようになった。 長い間、戦争を続けて、たくさんの国民の犠牲者を出した日本。やっと終戦したものの、自業自得ですが敗戦とうい結果になってしまい当時の日本国民の気持ちはどのようなものだったのでしょうか。やはり、軍国主義者や軍人たちは、悔しいと こういう加害者と被害者の単純な二項対立は成立しないはずなのです。, 明らかに、当時の日本国民は戦争を支持し、マスメディアも開戦を熱烈に支持していました。この歴史的な事実が忘れ去られようとしています。まるで、国民は戦争指導者によって騙されただけの存在であったかのようにあつかわれていますが、戦争を熱烈に支持ていたのは国民自身なのです。, 村山談話は、単純に我が国の「侵略」を反省するだけの談話ではなく、我が国の国民が熱烈に戦争を支持ていたという歴史の真実から目を背けている談話なのです。, 他国に対する謝罪以前に、我々の先祖たちは、何故、あの無謀ともいえる戦争を熱烈に支持していたのだろうか、という部分を明らかにすべきでしょう。自分たちに都合の悪い部分には目を塞ぎながら、謝罪と反省を繰り返したところで、それは本当の意味での謝罪にも反省にもならないはずです。, 大東亜戦争開戦時、多くの国民が開戦を支持しました。 ここで、終戦に至る経緯を簡単に振り返ってみましょう。 1945(昭和20)年8月6日に広島に原爆が投下され、9日未明にソ連が満州へ侵攻。ソ連侵攻を受け、9日午前10時30分より「最高戦争指導会議」が開催され、今後の方針を検討している最中、長崎へ2発目の原子爆弾が投下されます。 会議は続くも、徹底抗戦を主張する軍部と降伏(ポツダム宣言受諾)を主張する首相・外務大臣等が対立し、結論は出ませんでした。そして8月10日未明、天皇の裁断により、ポツダム宣言受諾を決定。その日(10日) … しかし、この文章は、そうした我が国と他国との関係だけを記述したものではありません。「我が国」と「国民」との関係についても言及しているのです。私が理解できないのは「我が国」は「国民を存亡の危機に陥れ」の一節です。一体、「我が国」の誰が国民を存亡の危機に陥れたというのでしょう。 国会議員約260名をはじめ経済界、学界、宗教界など各界代表や北は北海道から南は沖縄に至る全国47都道府県の代表約1000名が結集。20年の国民運動の成果を引き継ぎ、美しい日本を再建し誇りある国づくりを目指した新しい国民運動がスタートしました。 果たして、戦争を悲しみ、呪っていたのでしょうか。 大勢の国民が口惜しさで、泣いた。勝利を信じて疑わなかったのに、敗戦である。 国民は生まれてはじめて天皇のことばを聞いた。天皇が天上の神から人間に降りられた瞬間でもあった。だれもが素直に終戦 … 暗い戦争の時代という現在の我々のイメージとは全く異なる感覚です。戦争がはじまった時代に生まれて「生甲斐」を感じるというのは、現代の感覚からすれば、不謹慎そのものでしょうが、当時の人々がそう感じていたという事実を無視することは出来ません。 長い間、戦争を続けて、たくさんの国民の犠牲者を出した日本。 やっと終戦したものの、自業自得ですが敗戦とうい結果になってしまい 当時の日本国民の気持ちはどのようなものだったのでしょうか。 『終戦記念日にあたって 党声明 平成20年8月15日 自由民主党 本日、63回目の終戦記念日を迎えました。 自由民主党は、先の大戦で犠牲となられた全世界の人々に対して、 心より哀悼の誠を捧げます。 今日は12月8日。大東亜戦争が勃発した日だ。

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